June 02, 2013
やっと・・・・・
今日は、もうひとつ・・・聞いてね
毛塚さんの教室の時に
ピンクリボンキルト2013のお披露目がありました
MERUMMO☆さんがいつもまとめてくださり
毛塚さんの教室参加までにキルトトップを仕上げてきてくれました
毎年ありがとう
私がちくちく縫わせていただいたりぼん
大好きな友達や家族や
この一枚の中に、優しい心が一杯詰まっています
日本中を駆け回り、こうして一枚になって感激しています
今年は私にとって意味のあるピンクリボンキルトでした
より心をこめてちくちくしました
昨年、夏、乳がんが見つかりました
自分で見つけ、
そのときの心の落ち込みは今でも震えます
湯船から立ち上がれませんでした
毎年、ピンクリボンキルトを縫っていたのに
わが身には起こらないだろうと・・・思っていました
主人にも話せないまま
一人で近くの大きな病院に行き
触診であまりよくないと細胞検査もしました
胸に針を何度も刺し、痛い検査でした
夜、主人にはなすのが
今思っても一番つらいことでした
主人は会社に話して、家族を守るのは自分だよと
上司にいっていただき
どんどん予約の取れたMRIやCTやエコー検査
結果や手術の話には休んでついてきてくれました
今思うと、不安はたくさんありました
でも、検査をたんたんとこなす
そんな気持ちでした
8月のお盆明け、手術が決まりました
大きさは2センチ
ボタン電池のようでした
触るとこんなに解るのに
本当に気がつきませんでした
子供達の楽しいお盆の計画を聞いていたので
入院の2日前
娘と息子に話しました
二人はすみれを連れて
巣鴨のお地蔵様におまいりに行ってくれました
昔主人を助けてくれた先生が
外来を終えて、手術に立ち会ってくださり
後でお聞きしてそれも心強いことでした
術後、股関節の悪い私は
上を向いて寝ていることがつらくて
湿布を貼ってもらったり・・・
寝ていることのつらさもありました
温存法の手術を選んで
胸は残りましたが
お風呂に入るたび
深くえぐれている傷を見ると悲しくなります
夏の暑さは
汗が傷にしみたり、
妹がいるだけでいいからと
お店番に行くことも元気になりました
毛塚さんのはじめての教室開催も
元気にならなくてはといい原動力となりました
傷が治まり、35回の放射線が始まりました
放射線はほんの少しの時間ですが
それまでに身体に線をマジックでかいたり
記号をかいたり
消さないようにしないと
またそれを書くのにじっとしなくてはならないのも大変でした
毎朝8時30分に
放射線の前に運転していくのは
今思うと必死だったと思います
胸はお茶碗半分とったので
お水がたまり
それが膿み熱が出て
歩けずに車椅子で診察にいったこともあります
放射線を当てたところは
今でもうすく赤いです
でも命があれば・・・
そういう思いもありますが
女の人にとり
胸は特別ですね
二人の子供も元気に育てることが出来て
役目は果たしたと納得しても
温泉に行き、まわりの目の冷たさも感じると
悲しくなります
今の状態は、
たまに針を刺したような痛みがずきんときます
寝ていても来るので、思わす「ウッ」と声がでます
先生は段々おさまると話してくれています
今は毎晩、ホルモンの薬を飲んでいます
5年間飲むそうです
落ち着いてきた更年期がまたぶり返したような症状になります
一人で汗をかいたり、急に寒くなったり
息子の悪阻は匂いがだめだったのですが
今でも匂いで気持ちが悪くなります
1週間で退院して、
これで治ったのだろうか?と
眠れぬ夜がつづいたり・・・
毎晩誘眠の音楽をかけてうとうとしていました
こうして色々書いたのは
これを読んでくださる方が
一人でも検査を受けてほしいと
思います
早く見つかれば
傷も小さく
不安ももっと小さいことでしょう
日本では30%しか受けていないのです
どうぞ自分の身体は大事にしてくださいね
沢山の方が見ていてくださるのにかこうかどうか
ずっと悩んでいました
これからは、調子が悪い日も
素直に書くことが出来ます
先日のCT検査も血液検査も
大丈夫でした
結果を聞くまではどきどきしますが・・・・
励ましてくださったお友達
やさしい手紙を下さった方々
優しい家族
妹夫婦
わがままを聞いてくれていた主人に沢山の感謝をこめて・・・
ありがとうございました
長い間、読んでくださりありがとうございました
身体をどうぞお大事に・・・・